高級スーパーの野菜売り場に行くたび、いつもいつも思うこと。木瓜も、トマトもナスもキャベツも、つるりときれいで、見目麗しい。それも画一的にきちんと箱に納まっています。ご存知、ヨーロッパ、アジア、はたまたアメリカのスーパーでは、日本と打って変わって、個性溢れた形の野菜ばかりが並んでいます。特に昨今、イギリスでは、不格好な野菜を歓迎するキャンペーンが成功して、とてつもなく曲がっている木瓜があるかと思えば、キズだらけのナス、プーッと膨れたトマトもあって、おおよそ四角い棚には納まりません。買い物客は苦笑いしながらも、誰一人気にせず、かごに投げ入れていきます。「今までの努力も水の泡ですよ」テレビから怒りを含んだ声が流れてきました。どうやら一晩で大量のぶどうが盗まれたというニュース。うなだれた農園の男性、ほんとに悔しそう。ブランドぶどうを作るのにどれだけ細かい手間がかかったかを述べました。日本では、技術や品種改良を積み重ねいつしか見栄えや味わいある野菜果物を作ることに精を出しています。無農薬、有機野菜に関心があり、本来の野菜の味を求めている日本人もたくさんいるはずなのに。ところで、ここのところ、若者たちと話をするたび、思うことがあります。中の上志向が多い。とにかく無難に疲れないよう適当にでも日々楽しく社会の箱に収まって暮らす。でもカッコだけはつけたい。見栄えは大切だと強調します。私の頭に高級スーパーに並ぶ野菜群が過ぎりました。どんな個性をも大切にするダイバーシティの時代、なぜ故自ら他と同じような生き方を選んで、箱の中に入っていくのでしようか?一人ひとりが自分の生き様と向き合えば、自ずと箱から飛び出るはずなんだけどね。まだまだ真の多様化とは程遠いと、感じてしまいます。